恐れ、怒り、妬み、プライドなどの否定的な感情に動かされることがあります。「認めてほしい」「美しくなりたい」「貧しくなりたくない」「立場を失いたくない」「こんなひどいこと許せない」「あの人には負けたくない」このような感情が原動力でも、ある程度はうまくいくかもしれません。しかし突き詰めれば「愛されたい」という動機は、自己中心となりやすく、周りの人を責めたり、傷つけ、関係を壊すものです。
イエスさまの時代、ファイサイ派の人たちは、断食、施し、祈りという善行を行うことで、むしろそれをしない周りの人を責め、関係を壊していました。彼らのその善行の本当の動機が、「愛」ではなかったからでしょう。
さて、「福音」は人に新しい動機、原動力を与えます。それは「愛されたい」という古い原動力ではなく「今、神に愛されている」ことに気付かせ、他者と共に生き、分かち合うようにと向かわせる、「主イエス」「聖霊」という新しい原動力なのです。
「新しいぶどう酒は、新しい革袋にいれねばならない」(ルカによる福音書5章38節)